6年ぶり、通算15度目にして最後のジャパン・ツアー開催が決定!
Photo by Ruven Afanador
数々の世界的ヒットを生むと共に、「自分らしさ」 を貫くアーティストの先駆けとなった “アンユージュアル“ なポップ・アイコン、シンディ・ローパー。『シーズ・ソー・アンユージュアル』 でのソロ・デビュー (US発売:1983年10月/日本発売:1984年2月)からこれまでのキャリアで、1985年の<最優秀新人賞>を皮切りに4度のグラミー受賞、1995年には人気テレビ・コメディ 『マッド・アバウト・ユー』(1992-1997)でのエミー賞<ゲスト女優賞(コメディ・シリーズ部門)>受賞、更に2014年には自身が全曲作詞・作曲を手掛けたブロードウェイ・ミュージカル 『キンキーブーツ』 で初めてのトニー賞<オリジナル楽曲賞>も受賞。今年2024年6月には、米ハリウッドのTCLチャイニーズ・シアター前に手型と足形も刻むなど、エンターテイメント・シーンにおいてひときわ個性的な輝きを放ち続けている。今月18日のカナダ・モントリオール公演を皮切りにフェアウェル・ワールドツアーを開催することがアナウンスされていた中、このたび6年ぶり、通算15度目にして最後となる単独ジャパン・ツアーが2025年4月に開催されることが明らかになった。くしくも2025年は、シンディが1980年にレコーディング・アーティストとしてのキャリアをスタートしてから45周年。日本を愛し、常に日本のファンに寄り添い続けてくれたシンディのパフォーマンスを日本で観ることが出来る最後の機会となりそうだ。
シンディはフェアウェル・ジャパン・ツアーの開催について、
「アイシテマス。日本の皆さん、お元気ですか?来年4月、フェアウェル・ツアーで日本に戻ることになりました。東京と大阪を訪れます。
私のほぼ全キャリアからの曲をやるのでみんな会いに来てね。楽しいツアーになること間違いなしよ。このツアーは私から皆さんへの贈り物。とにかくハッピーな気持ちで会場を後にしてもらえるようにしたいわ。
日本のみんなに会えるのが本当に楽しみ。こんなツアーは初めてだし、これが最後になります。みんなが幸せな気持ちになれる形で、お別れを言いたかったんです。なので4月にお会いしましょう。これまでのすべてに…心からありがとう。」
とコメント。これまで常に日本との絆を紡ぎ続けてきた彼女との時間を過ごせる最後の機会。音楽シーンを代表するポップ・アイコン=シンディ・ローパーが、会場中と心を通わせ表現する愛と感謝のメッセージを是非心に刻んでほしい。
来日公演情報
6年ぶり、通算15度目にしてシンディ最後のジャパン・ツアー
Girls Just Wanna Have Fun Farewell Tour
ザ・ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン・フェアウェル・ツアー
【大阪】 4月19日 (土) Asueアリーナ大阪 <Open 17:00 Start 18:00>
【東京】 4月22日 (火) 日本武道館 <Open 18:00 Start 19:00>
<問>ウドー音楽事務所 03-3402-5999
チケット発売:詳細は近日中に正式発表
関連リリース
日本でリリースされた全シングル曲とMV(世界初DVD化10曲を含む全26曲)を網羅した決定盤ベスト。
シンディ・ローパー|ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-
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関連動画
「Girls Just Want To Have Fun」 MUSIC VIDEO
「Time After Time」 MUSIC VIDEO
「True Colors」 MUSIC VIDEO
【シンディ・ローパー:プロフィール】
1953年6月22日、米ニューヨーク生まれの歌手・女優。1978年、ロック・バンド “ブルー・エンジェル“ を結成し、80年にレコード・デビュー。フィラデルフィアのバンド、フーターズのバック・アップを受けて83年にソロ・デビューを果たす。デビュー・アルバム 『シーズ・ソー・アンユージュアル』(日本発売は1984年2月25日)は、アメリカだけで700万枚、全世界で1,600万枚以上(当時)という驚異的なセールスを記録。女性の社会的地位向上を高らかに謳った1stシングル 「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」から、全米1位を記録した 「タイム・アフター・タイム」、「シー・バップ」、「オール・スルー・ザ・ナイト」 とデビュー・アルバムから4曲連続で全米シングル・チャートTOP5入りを果たした史上初の女性ソロ・アーティストとなる。続いて、映画 『グーニーズ』 (1985) のサントラに参加。主題歌となったシングル 「グーニーズはグッド・イナフ」 も世界的な大ヒットを記録した。1986年、2ndアルバム 『トゥルー・カラーズ』 を発表。このアルバムからも、彼女の2曲目の全米1位曲となった 「トゥルー・カラーズ」 のほか、「チェンジ・オブ・ハート」、「ホワッツ・ゴーイン・オン」 といったシングル・ヒットが生まれた。陽気で活力あふれる個性的な歌声とファッションで人気を博し、弾けるポップスからロマンティックなバラードまで歌いこなすエンターティナー歌手として80年代に強烈に印象深い成果を残した。その後は女優として映画や人気TVシリーズ、ブロードウェイ・ミュージカルにも出演しており、グラミー賞と共にエミー賞やトニー賞の受賞経験もあり、唯一無二のポップ・アイコンとして世界中のファンに愛され続けている。
2005年には米国の同性愛者やその家族・友人を支援する団体PFLAGの 「Stay Close Campaign」 に姉妹で初参加。その後も現在に至るまで、女性の社会的地位向上やLGBTQコミュニティ、およびHIV/エイズと共に生きる人々に対する支援活動を続けており、自身が設立した慈善団体(トゥルー・カラーズ・ユナイテッド)では、ホームレスになってしまうLGBTQの若者を無くすべく活動を行っている。2022年にも 「Girls Just Want To Have Fundamental Rights Fund」 と名付けられた基金を設立。女性の権利を支援する活動を拡大している。2011年には、キャリア初となるブルース・アルバム 『メンフィス・ブルース』 を発表、グラミー賞にノミネートされた。大の親日家としても知られており、2011年の東日本大震災の際には多くの来日公演が中止となる中、日本ツアーを敢行。日本中のファンを勇気づけてくれた。以下はその際のシンディのコメント。
「帰国するなんて考えられなかった。だって愛する日本の皆さんがこういった状況にある中、何とかしなければと思う。明日の夜CNNに出るので、海外の人々へも訴えていきたい。少しでもいいので、皆さんに募金をしてもらいたいという気持ちでいっぱいです。そして、いろいろな国の人々がそういった活動に協力してくれれば、たくさんの募金が集まると思いますし、それが直接困っている人たちに届けられる。とにかく私はできることは何でもやりたいと思っています。今、私はこういった時期の日本にいるのですから。私は、キャリアの中で多くの時間を日本で過ごしました。私にとって本当に大切な国で愛する国なので、できる限りのことを、とにかくやりたいと思っています」
さらに翌2012年、2015年にもジャパン・ツアーを行い、2013年には夏フェス(サマソニ)にも参加している。2013年には、ブロードウェイ・ミュージカル 『キンキーブーツ』 で、全曲作詞・作曲を担当。自身初のトニー賞を受賞した。2019年10月には、自身のソロ・デビュー35周年を記念した4年振りとなるジャパン・ツアーを開催、それまでに日本でリリースした全シングルとMVをまとめた 『ジャパ二―ズ・シングル・コレクション:グレイテスト・ヒッツ』 をリリースし、好評を博した。2024年6月には、米ハリウッドのチャイニーズ・シアター前に手形・足型を刻み、その際のセレモニーでフェアウェル・ワールドツアーを発表。「ツアーからの引退」 を正式表明しているため、15回目となる単独JAPANツアーは、これまで常に日本との絆を紡ぎ続けてきた彼女との時間を過ごせる最後の機会となる。
シンディはAllMusicのリンゼイ・プレイナー (Lindsay Planer) をして 「ロックンロールにおける女性の役割に革命を起こした因習打破のヴォーカリスト」 と呼ばしめた。なお、シンディは全世界で5,000万枚以上のトータルセールスを記録しており、グラミー賞、エミー賞、トニー賞の他にも、ニューヨークのアウター・クリティクス・サークル賞、MTVビデオ・ミュージック・アワード(VMAs)、ビルボード・アワード、ビルボードのウィメン・イン・ミュージック・アイコン賞、国連人権高等弁護官事務所によって授与される2019年度ハイ・ノート・グローバル賞、アメリカン・ミュージック・アワード(AMAs)を受賞した。ソングライターの殿堂入りも果たしており、2016年4月にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの星を贈られている。